みなさま、こんにちわ。
12月も半分が過ぎて、今年もあと2週間しかないです。
毎年の事ですが、年末は仕事も忙しくて職場事務所にも
お客様が途絶えません。
残業後帰宅してもバタンQな状態で、鉄分不足気味な今日この頃です。
先日
KATO好き さんのブログで、筑波サーキットの話題が出ていましたので
わたしの、懐かしの写真をUPしてみます。
1992年の筑波サーキットの第一ヘアピンコーナーです。
この年は、レベルが高く予選落ちばかりで絶不調でした(泣)
この前年(1991年)は、絶好調で関東選手権(ノービスライセンスのレース)
125ccクラスで決勝レースで2位、6位が1回づづありまして、
A級自動昇格ポイントを獲得しました。
本当の俺さA級で、レース活動をしました。
A級のレースレギュレーションは、改造範囲も広くて、
コストも膨大で借金も凄かったです。
エンジンもノーマルでは歯が立たず、高価なキットパーツを投入して
今では、禁止されている有鉛高オクタン価ガソリン(1Lで750円!!)を
湯水のように使っていました。
シャーシ部品も、高価なパーツを投入しました。
この年(92年)はBSタイヤを使用しましたが、フロントタイヤが他社に先駆け
ラジアルタイヤを投入しました。タイヤに合わせて、ホイールサイズも
特殊サイズ(F2,25×17 R3,25×17)で入手するのが難しかった(高価!)
だった記憶があります。
ブレーキング特性が良くて、コーナー進入で他社タイヤ装着マシンを
ゴボウ抜きした思い出があります。
この写真は、91年SUGOサーキットの3コーナーです。
下り坂のハイスピードコーナーです。125ccのマシンですが、
250ccや750ccのマシンより軽量な為に、コーナリングスピードは
ずば抜けて速いです。
ちなみに、タイムは1分42秒?位だったと思います。
わたしと同じ走行時間に、カワサキワークスチームも走行していました。
宗和孝宏選手です。ストレートは750ccなのでバカッ速でしたが、
2~3コーナーでは、こちらの方が速くインにつけて抜けました。
(わたしの方が、深くバンクしていますね。)
同じカワサキワークスチームで、テスト車両?BSタイヤを装着しています。
ライダーは、塚本選手です。
タイヤのマッチングが悪そうで、コーナー入り口から出口までスライドして
ブラックマークが残る(凄い!!)ライディングでした。耐久性が悪そうな
印象でした。
あまり、手元に写真が残っていませんが機会があればUPしたいと思います。
自己破産もしないで、良く活動できたものです。
父親が、かなり資金援助をしてもらい助かりました。
若さは、最大の武器ですね(笑)